石戸山(548.8m)〜高見城山(485.2m)
   
     From 丹波市 石龕寺  

■ 登山日   平成21年6月20日(土)                                            
■ コース     石龕寺駐車場8:56 → 奥の院9:18 → 頭光嶽9:26 → 金屋鉱山跡9:39 → 石戸山・岩屋山尾根合流点9:46 → 石戸山9:52 → 鉄平石採石場9:56 → 石戸・丹波の森公苑との分岐点10:25 → 高見城山10:37〜11:00 → 石戸山11:45 → 岩屋山11:54 → 石龕寺駐車場12:28
■ 地形図名    2万5千分の1   柏原(京都及び大阪)                                     Route map
■ 登山口   丹波市山南町岩屋 石龕寺 Road map  

巡視路との分岐点 石戸・丹波の森公苑との分岐点
岩屋山山頂 重ね岩との分岐点
石龕寺仁王門        2方向の参道コース
手すりの参道 石龕寺奥の院の鐘楼
頭光嶽 金屋鉱山跡に残る作業車両
鎖場 奥多々良木56番鉄塔
尾根道との合流点 石戸山山頂
石龕寺奥の院 足利義詮の将軍屋敷跡
高見城山頂上への分岐 高見城山頂上
鉄平石の採石場 展望の良い裸地

8:56 石龕寺仁王門前駐車場に到着し、石戸山山頂に向かう。この石龕寺は、用明天皇の丁未の年(587)に聖徳太子の開基と伝えられ毘沙門天信仰の地である。「石龕」とは、石窟・岩屋のことで石窟内で仏様を祀ることを意味し、本堂より山の上800mにある「奥の院」が、石窟となっており、そこが石龕寺発祥の地となる。太平記には、足利尊氏とその子義詮がこの地に身を寄せたことが記されており、当寺が足利氏とゆかりが深い事が伺える。明智光秀の丹波攻め(16世紀末)の際、山門を除いて一山ことごとく焼失したが、以来歴代住職や信徒の尽力により復興された。山門の金剛力士立像は(国重文)は仁治3年(1242)約760年前肥後法橋定慶の作。
9:01 参道を進み、金網で覆われた井戸?「大槽谷の水」前を通過する。「大槽谷の水」には、昔この谷に大槽という清水をたたえた岩盤のくぼみがあり、聖徳太子が毘沙門天尊像をここで洗われたので、水はいつも黄金色に輝いていたということやこの水でみそやしょうゆを仕込むと腐ることがないという逸話が残っている。
 さらに進むと、砂防堰堤経由の北谷参道コースと大槽参道南コースの分岐点に到達する。
 

9:08 大槽参道南コースを進み石戸山差3ん長に向かう。「参道は、細く滑りやすいので注意してください」という旨の標識が分岐点に設置されている。道が細くやや急な斜面で植林帯の中を九十九折れに延びている。露岩も多く目立つ。谷側が切り立っている地点もあるためか手すりやロープが張られ安全面に配慮がなされている。奥の院への距離看板が100m置きに設置されている。プラ階段が設けられている箇所もある。展望は、あまり良くない。
9:16 奥の院地蔵堂(休憩所)前を通り、 奥の院鐘楼に到着する。

9:18 足利二代将軍義詮が一時逗留した将軍屋敷跡と奥の院に到着。聖徳太子が物部守屋を征伐したときに、自ら毘沙門天の尊像を刻んでかぶとに携えていたのは、有名であるが、その後不思議にもこの尊像が飛散してしまったという。太子が尊像の行方を国中探し求めてこの地に来たとき、山の中の石窟に毘沙門天の尊像が安置されているのを見つけたといわれている。この石窟は今も「奥の院」として祀られており石龕寺の発祥になった。

9:26 奥の院鐘楼脇より石戸山への登山道が延びている。植林帯の中を延びた急登を九十九折れに進む。巡視路としての位置付けもあるためか、特に急激な坂にはプラ階段が設置されている。鉄塔のある頭光嶽に到着する。ある程度の展望もあり石金山・千ヶ峰・篠ヶ峰も見える。金屋鉱山もこの位置から確認できる。標高439m。聖徳太子が、毘沙門天像を求めてこの地に来られたときこの山よりまばゆい光を発していたので一寺を建てられ名付けられたと言う。
9:39 頭光嶽から一旦は下り、ほぼ平坦に進む尾根道歩きとなるが展望はない。金屋鉱山跡が確認できる地点より右側に下る斜面になる。作業員の休憩小屋廃屋を通過し、金屋鉱山跡に到着する。3台の作業車両が閉山時からそのまま残されている。大正時代から昭和50年代までタイルや陶磁器の原料になるカオリナイトの原石が採掘されていた。輸入におされて閉山したという。 

9:46 金屋鉱山跡より急激な九十九折れの道を進む。雑木が深く覆っているため薄暗い。また、落葉により道が覆われやや分かりにくい地点もある。途中よりプラ階段で整備されている。岩屋城の掘切跡でもある石戸山と岩屋山への尾根道に合流する。
9:52 雑木林の尾根道を進む。山頂までの距離標識が小まめに設置されている。明瞭な道であるが展望はほとんどない。最後にやや急な道を登りきり石戸山山頂に到着する。手前には、無線中継所の跡地がある。山頂は、全く展望がない。一等三角点 点名石戸山が設置されている。「山火事注意」や「石戸山三角点」に関する標識も設けられている。

9:56 石戸山より高見城山へ向かう。山頂から下りに転じる。約10mの区間シダで覆われた地点もあり、短い区間であるがやや不明瞭がちな道歩きとなるところもある。しかし尾根を外さなければ問題はない。鉄平石の採石場に到着する。中央に賽の河原のように石が積み上げられている。石戸山山頂の標識では、この辺りに360度の展望の良い地点があると記述があり、確認したが見当たらない。やや小高い丘のようなところもあるが雑木が高くなったのか見通せない。
10:17 採石場を過ぎると程無く大きく下りに転じ鞍部となる地点を通過する。周辺は、植林帯である。再び登りに転じる。やがて、広場のようになっている裸地のような地点に到着する。展望のあまりないこの尾根道の中でこの地点のみ西側や東側への展望がよい。東側は、夏栗山や黒頭峰。西側は、千ヶ峰や篠ヶ峰を確認する。

10:21 巡視路との分岐点に到達する。標識がなくどちらに進むのか迷う地点であるが、巡視路入口に木の枝を横たえてあり、登山者が巡視路に向かわないよう明示されている。
10:25 石戸・丹波の森公苑との分岐点に到達。この後、赤白の高圧鉄塔の右側より通過する。この付近は東側の見晴らしが広がっている。しかし、再び雑木林の中に入り尾根の西側を進む。

10:34 高見城山・丹波悠友の森との分岐点に到着する。短い区間であるが急登となる。
10:37 高見城山山頂に到着する。ほぼ360度におよぶ展望が広がっている。四等三角点、点名高見ヶ城がある。昔、この山頂にあった高見城は、嘉暦2年(1327年)丹波国守守護職にあった仁木頼章が築いたものある。室町時代後期に赤井家清が城主となったが天正7年(1579年)織田信長の命を受けた明智光秀の兵火によって落城した。

11:54 岩屋山山頂に到着する。標高506m。大部分は、カオリナイトの採掘で削り取られ東側は絶壁になっているので要注意である。この地は、岩屋古城跡でもある。北は、高見城に通じ、南は小川、久下、和田、西は氷上町、北東は柏原町も見下ろす要害の地であって、戦国時代広沢綱忠がここに拠ったと伝えられている。中世は、丹波の修験の根拠地として熊野・白山両権現を祀っていたという。天気の良い見通せる日ならば、瀬戸内海も望める。
11:59 展望広場と重ね岩との分岐点に到達。展望広場経由で下山する。

西側展望
東側展望

11:00 下山を開始する。元来た道を歩き再び石戸山へ向かう。
11:45 石戸山山頂に再び到着。
11:50 岩屋城堀切跡でもある金屋鉱山跡からの合流点通過。後2つの掘切跡も通過する。

12:06 途中、赤松林を通過。以降プラ階段の下山となる。この後、唯一の鎖場に到着し、慎重に歩を進める。急激な下りのためロープも張られている。
12:09 展望広場と思われる高圧鉄塔に到着する。南西側に大きく展望が広がっている。頭光嶽から金屋鉱山跡までの山塊が目の当たりにできる箇所でもある。再び、プラ階段が現れる。登山口である石龕寺が真近かとなり、薄暗い植林帯の中を下山する。
12:28 駐車場に到着し、今回の登山を終える。

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