置塩城跡(370m)

 
        

    


■ 登山日   平成23年9月23日(土)                                            
■ コース     置塩城跡駐車地8:18 → 炭焼窯跡8:34 → 置塩城跡8:44 → 置塩城城本丸跡8:54〜9:14 → 二の丸跡9:28 → 三の丸跡9:30 → 大石垣9:36 → 大手門跡9:57 → 舗装道路10:20 → 置塩城跡駐車地10:31  
■ 地形図名    2万5千分の1 前之庄(姫路)   Route map
■ 登山口   姫路市夢前町宮置 Road map  
本丸跡の様子
炭焼窯跡
距離を示す石碑
登山口石碑
置塩城跡登山口
置塩城跡
茶室跡
本丸より南側への展望
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大手門跡
二の丸跡(9:28) 三の丸跡(9:30)
大石垣

8:18 夢前川の河川公園沿いにある置塩城跡登山口に到着。登山口前に道路の路肩に駐車スペース有。夢前川も河川公園のようになっているので、こちらに駐車することもできるようである。。登山道入口付近では、雑草が伸び放題の状態、印象が良くないが、いざ登山道に入ると道も明確であり快適であった。但し、展望はない。

置塩城は、戦国時代に播磨守護の赤松氏によって築かれ、その後、居城として使用された。5代目城主の赤松則房は、織田信長の武将羽柴秀吉に降り、天正8年(1580)、秀吉が播磨を平定した段階で、置塩城は廃城を迎えた。標高370mの城山の山頂部には現在でも4ha以上にわたり、曲輪・城道・石垣等の遺構が残っており、播磨で最大規模を誇る。平成13〜17年に発掘調査が行われた。この中で、伝ニの丸跡から山城としては大変珍しい庭園遺構と、それに面して大規模な建物跡が存在していたことが確認された。このことは、戦乱の世の中で軍事的に使用されることが中心だった山城では異例であり、改めて城主赤松氏の室町時代から受け継ぐ権威、文化レベルの高さが注目されることになった。また、城内で最も高い位置にある伝本丸跡からは堅牢な建物が発見されており、戦闘に備えて構築されたことも判っている。

※ 説明板参照

8:34 かなりの高所まで距離をかせいだ地点で炭焼窯跡前を通過する。昭和の初期に造られたものである。この城跡周辺には、同様の炭焼窯跡が数箇所存在しているという。
8:44 登山道には、距離を示す石碑が設置されている。3丁目の石碑からこれに気付く。1丁とは60間のことであり、1間とは、約1.82mである。従って1丁は、1.82×60≒109mということになる。18丁は、109×18≒2kmである。1丁進むごとに距離を示す石柱が立っているが、実際は、この距離より短い気がする。

8:44 置塩城跡に到着する。近くに茶室跡。雑木に囲まれ展望はない。取り立てて見る様なところもないので、本丸跡へ向う。

8:54 本丸跡に到着する。広々としているが何も表示されているものもない。、本丸北側周辺に雑草が伸び放題の状態。中央では遺蹟調査で使われたような土嚢袋が散乱している。1996年に白旗城跡、感伏上山城跡と共に「赤松氏城跡」の名称で名誉ある国の史跡に指定されているが、極めて印象が悪い。

9:36  二の丸跡、三の丸等の曲輪群を散策の後、下山のため大手門跡方面に向う。その途中である“大石垣”と云われている石垣まで到着。しかし、これより下山道が見つからず。仕方なく道を引き返し、この大石垣より一段上面にある曲輪の端より道が延びているのを確認する。しかし、この道を進むが人があまり訪れていないためか、やや荒れた藪道であった。

9:57 やや荒れた道を進む。大手門跡手前にも曲輪群がありその地点も散策するがだんだんと道が不明瞭になる。大手門跡に到着するがこの周辺も荒れている。ここより全く道が不明となる。仕方なくこれより下山は、植林帯の中を進むことにする。
10:20 自動車車両の通る舗装路に到着した。
10:31 夢前川の河川公園の駐車地に到着し、今回の登山を終える。

夢前町宮置より

本丸からは、北側の雑草が延びている地点より北側へ若干展望できる。また、南側へは、瀬戸内海が見え、家島諸島が見えたのには驚いた。